May 13, 2008

尹晶煥の鮮々トークその4"崔龍洙、私の人生最高のパートナー(2)"

困境におとしいれもした崔龍洙だが、他の人に対する配慮のできる人だった。もちろん自身のことをきちんとするスタイルだが、他の人の手助けもよくしていた。慶尚道の人特有の無愛想、ではあるが、面白いし、風変わり、という第一印象も残っている。

崔龍洙とはオリンピック代表チームで初めて一緒にやった。オリンピック代表に選ばれた当時は、彼とのコンビがうまくいくとは考えもしなかった。

初めての招集が、サウジアラビアでのキャンプだった。最初の試合の相手が日本だったが、試合では、崔龍洙と目が合い、パスを出したらそれをゴールにいれてくれた。FWが崔龍洙一人だったので、意識してパスをだしたが、成功したということだ。これ以降、崔龍洙とはこういう状況ではこうやろうとか、いろいろ話をして一緒に動いた。

オリンピック代表では崔龍洙の他にも、禹成用、イウヨン、丁祥楠などいいストライカーはたくさんいた。しかし、たった一人崔龍洙とだけ息があった。崔龍洙は守備の裏に動いたり、スペースを作る動きが、他の選手よりうまかった。その動きを早く把握し、パスを出し、シュートを打てるようにした。こういう点があい、名コンビになったのだと思う。

崔龍洙とはオリンピック代表で2年ほど一緒にやった。しかし、Kリーグでは一度も一緒のチームになることはなかった。一緒にやりたいという気持ちはあったが、できなかったのは残念だった。

オリンピック代表チーム初期には、プロ選手が数名しかおらず、崔龍洙もそのうちの一人だった。ほとんどの選手が大学生。崔龍洙はLG(現ソウル)所属だったが、新人王をとり、スター選手として上り調子の頃だったから、他の選手たちがみなうらやましがっていた。皆「ああなりたい」という気持ちを持っていた。

特に自分はうらやましいと思っていた。プロに入り、LGとの開幕戦。自分はベンチでひたすらアップだけしている一方で、崔龍洙はゴールをあげ我々のチームに勝利した。さらに済州で試合をしたのだが、そこまで行って試合に出られず負け。だから「次は必ず勝つ」と考え次の試合、浦項戦で先発出場した。そして勝った。崔龍洙のプレーに刺激を受け、より一生懸命やったのだが、それがよかったのかもしれない。

原文:http://www.sportalkorea.com/news/korea/view.php?gisa_uniq=20080513131214&key=&field=&gisa_section=40

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May 12, 2008

仁川にて国際大会開催

G大阪の公式に掲載されていましたが、6月4日から8日まで、仁川にて国際大会が開催されることになったようです。
以前、清水エスパルスとか北朝鮮よぼうとして失敗したのと同じようなヤツ?????

大会名称:東北アジア4カ国クラブサッカー大会(仮称)
日程:6月4日から8日
会場:仁川文鶴競技場
参加チーム:仁川U(韓国)、G大阪(日本)、北京国安(中国)、クイーンズランドロア(オーストラリア)。

まず、2試合が試合をして、その後勝者同士、敗者同士による試合で順位を決める方式。つまり2試合やるということですね。
詳細に関しては未定です。

G大阪と北京は選手に死人が出るのではないかと心配ですが・・・・

詳しくはガンバ大阪公式HPをご覧下さい。

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尹晶煥の鮮々トークその3"崔龍洙、私の人生最高のパートナー(1)"

私、尹晶煥を語るとき、絶対にはずせないのが崔龍洙だ。崔龍洙は自分より一つ年上だが、とても息の合う人だった。パスを出せば、前で必ず決めてくれる、だからファンは最高のコンビと呼んでくれたのかもしれない。

崔龍洙を初めて知ったのは、東亜大3年の時だった。彼は延世大の4年で、その時初めて試合をした。試合は東亜大が2-0で勝った(しかし、大会に優勝したのは延世大だった。)。その時は初めて出会ったのだが、崔龍洙が釜山出身ということで、うちの学校の選手たちとも頻繁に交流していた。それでよく会うようになり、いいこと、楽しいこともたくさんあった。でも彼とはいいことばかりではなかった。

オリンピック代表としてフランスで開かれたツーロン国際サッカー大会に参加した時の事だった。まだプロに入ったばかりの時だったが、崔龍洙はすでにプロで1年過ごしていた。それで彼はアドバイスをたくさんしてくれた。その中で「プロは、お金もたくさん稼げるし、いいぞ。」「オリンピック代表でのトレーニングは適当にだらだらやっててもいい。」こんな話もしてくれた。自分はそのままその通りにしたのだ。

当然、成績がいいわけがない。試合はほとんど0-1でやぶれ、チームの雰囲気はめちゃくちゃになった。大会を終えた後、崔龍洙、金大植と3人だけ、Kリーグの試合のため帰国、他の選手たちはアフリカの方へトレーニングに向かった。帰国前日にも監督との面談でけんかをし、出てきてしまった。その時「ここでダメなら他のところでちゃんとやればいい。」と考え、赤い顔をして出てきたのだった。

ところが、金大植と話をしてしったのだが、崔龍洙は監督との面談で「一生懸命やります」と言ったという。私には追い出すようにし、監督とけんかさせておいて、自分は正反対のことをしていたのを知り、腹が立った。

この時、韓国までは13時間ほどかかった。金大植を中央に、自分と崔龍洙がその両側に座っていたが、その間がとても長く屈辱だった。崔龍洙とは口もきかず、韓国まで戻る間、金大植とだけ話をしていた。自分は被害を被ったら、口をきかないという性格だったし。だから自分にたやすく近づいてくる人がいなかった。こうして崔龍洙とは冷戦状態が長く続いた。

その後、自分の間違いに気がついたのか、とてもよくしてくれるようになった。一度酒の席で「ごめん」と言ったこともあった、だから「もう全部忘れた。」と答え、仲直りをした記憶もある。

その時、一つ間違えば、監督がもう二度とオリンピック代表に呼んでくれなかったかもしれない。それほど大きな出来事だったから、崔龍洙にすごく腹を立てたのだと思う。

原文:http://www.sportalkorea.com/news/korea/view.php?gisa_uniq=20080509152235&key=&field=&gisa_section=40

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尹晶煥の鮮々トークその2"'尊重の指導者'ロシア紳士、ニポムニシ監督"

たぶん、私、尹晶煥を語る時、はずすことができないのが、バレリー・ニポムニシ監督との出会いだろう。1995年、東亜大を卒業し、縁故指名で油公(現済州)に入団した。そしてここでニポムニシ監督と出会うことになる。

ニポムニシ監督は、第一印象からいい人だということを感じていた。顔からして紳士だという印象を受けた。品格があり、後に通訳から聞いたのだが、選手たちにはロシア語で尊敬を表現する言葉を使用していたという。それほど選手たちを尊重してくれていた人だった。

オリンピック代表でもロシア人監督の下にいて、チームでもロシア人監督のもとで、ということが自分にとってはとてもよいことだった。ニポムニシ監督がとても配慮をしてくれたおかげで、プロ初年度から錚々たる先輩選手の中でチャンスを掴むことができた。もちろん、自分自身努力もした。当時、自分には怠惰な天才という表現がついて回っていたが、他の人が寝ている時、練習して試合に出た。これは自信を持って言える部分だ。

ところで、監督はすぐ試合に出してくれたわけではなかった。開幕戦は崔龍洙のいたLG(現ソウル)とだったが、自分はベンチに座ったまま崔龍洙が活躍する姿を見ているほかなかった。この日崔龍洙が2ゴールをあげ活躍、自分はベンチでいらいらしていた。
そして監督は次の試合から試合に出してくれ、試合をやるたび少しずつ出場時間も増えていった。後に知ったことだが、監督は自分がとのくらいできるのか、テストをしていたのだとか。監督は、有名だからといって不真面目で、トレーニングもしない、となることを避けるためそうしたのだという。だから、努力し、学ぼうとする姿を見せたことで、監督は使ってくれた。

監督は紳士らしく、静かに選手たちをよび、よく話をした。話をするときは、いいところ悪いところを一つずつ話した。選手たちのことはすべて見通していた。また選手が自信を失うことがないよう、アドバイスもしてくれた。自分には「若いけど大丈夫だ。怖がらずパスをたくさんだせ」といってくれたことは忘れない。

ニポムニシ監督がチームを指揮している間、カップ大会で数回優勝した。しかし、正規リーグで優勝できなかったことが今でも残念だ。監督は若い選手たちをよく起用してくれた。その時、年の近かった尹晶椿、金基東、李乙容、李元植などがレギュラーだったが、3-4年共にやっていたので、見なくてもパスをつなげられるほど息が合っていた。しかし、若い選手たちが多かったからなのか、いいチームになるまで長い時間かかり、成績にも影響を与えた。

当時韓国のサッカーはとにかく無条件走るサッカーだった。しかし、ニポムニシ監督のサッカーは、考えなければいけないサッカーだった。周囲を見て動き、ワンタッチ、ツータッチのパスを多くする、韓国の監督はこのようなトレーニングをほとんどしなかった。しかし、我々はこのようなトレーニングをしたおかげで危機状況を回避する能力を身につけることができた。これは今でも通じるのではないかと思う。

今振り返ってみれば、監督のサッカーは当時としては先進的なサッカーだったといういうことができる。だからファンは我々のサッカーを面白いといってくれたのだと思う。今はどこでも面白いサッカーをしているが、当時はそうではなかったから。

現在の監督の近況は時々聞いている。今は休んでいるというのは知っているが、以前SKOBの集まりで一度お会いした。当時の記者も多く来ていたが、一緒にサッカーをやっていた選手たち、そして監督と同じ場所に集まることができたのは、とてもうれしかった。今も監督と共にサッカーをやっていたことを考えると、いい思い出だけが出てくる。

原文:http://www.sportalkorea.com/news/korea/view.php?gisa_uniq=20080506024000


第3回に続く

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ワールドカップ予選ヨルダン戦詳細

当初6月2日に予定されていたんですが、なぜか、いつの間にか5月31日に開催日が変更になっています。これは韓国だけなんでしょうか????
少なくとも、日本は6月2日のはず。

5月31日(土)
韓国対ヨルダン
ソウル上岩ワールドカップ競技場にて、20時キックオフ。

チケットは9日から韓国国内ハナ銀行各支店およびインターネットにて発売中。
*日本国内での購入はできません。外国人はインターネットでの購入は不可能です。お問い合わせをいつもたくさん頂きますが、ご注意の程を。
当日券は午後1時から発売されます。当日試合会場にてお求め下さい。

1等席:5万ウォン
2等席:3万ウォン
3等席:2万ウォン
応援席:2万ウォン

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May 09, 2008

尹晶煥の鮮々トークその1”信頼を植え付けてくれたヴィショベッツ監督”

尹晶煥が自身の大切な記憶をファンに紹介する、新聞の特集記事です。数回にわたって掲載されているので、少しずつ紹介していきます。

今年に入り、20年あまりの選手生活を終えた。選手生活を振り返ってみると、多くのことがあり、多くの監督、チームメートに出会った。その中で、今の自分がこうしていられるようにしてくれた二人についてから話を始めようと思う。

現在の自分があるのは、1995年油公(現在の済州)に入団したおかげだ。東亜大に通っていた頃、当時縁故指名で油公に入団することがすでに決まっていた。その時期、アニトーリ・ヴィショベッツ、バレリー・ニポムニシという二人のロシア人監督に出会った。多くの監督の中で特にこの二人が記憶に残っているのは、なんにしても、自分を中心にした戦術を用いてくれたためだったと思う。この二人の監督とは気持ちよくサッカーをしていたという記憶が残っている。

二人のうち、まず最初に出会ったのがヴィショベッツ監督だ。プロに行く前、オリンピック代表に呼んでくれたのだが、1994年後半、馬山でロシアオリンピック代表とテストマッチを行った時だった。オリンピック代表始動後の最初の試合で、ロシアとの2試合、2試合目に出場する予定だった。ところが、1試合目に出る予定だった金載ヨンのコンディションがよくなかったため、変わりに自分が出場した。そして、2アシストして3-0で試合に勝利。おかげでその後続けて試合に出られるようになった。今思えば、金載ヨン(引退)には有難い気持ちだ。これが運命を変えたのかもしれないから。

事実、当時オリンピック代表チームは趙真浩(現済州コーチ)を中心にチームを作っていた。しかし、監督は自分を気に入ってくれたようだった。セットプレーはすべて自分が担当した。1996年アトランタ五輪のガーナとの初戦、もらったペナルティキックも、監督が自分を見てベンチから指示をだした。崔龍洙もいたし、OAで出場していた黄善洪もいたが、監督は自分を信頼してくれていたようだ。おかげでキャプテンマークも付けることになった。元々キャプテンは崔龍洙だったが、96年に自分に変わった。その時以外、キャプテンマークを巻いたことはないと思う。

しかし、監督とけんかしたこともある。たった1回だが、選手の中で自分だけだった。当時監督の通訳がロシア人だったのだが、韓国語がへたくそだった。だからお互い意思の疎通がうまくいかず、意見の衝突が起こった。だからといって監督にほされたりということはなかった。国内の監督と外国人監督の差だということもできる。

ヴィショベッツ監督とはいい思い出だけが残っているが、オリンピック終了後、監督がすぐロシアに帰ってしまったことは残念だった。ベスト8進出はならなかったが、当時韓国は1勝1分1敗という歴代最高の成績を収めた。監督は十分にいい評価を受けていいはずだが、そうはならず、故国へ帰ってしまった。その後、監督の知人を通じ、近況やニュースに接するだけだった。そして12年が過ぎた。今、会えたなら、その時の思い出に対し抱いている思いを晴らすことができるだろうか。良かったこと、悪かったこと、一生懸命やらず怒られたこと、、、心からヴィショベッツ監督に会いたいと思う。


原文:http://www.sportalkorea.com/news/korea/view.php?gisa_uniq=20080502174625


第2回に続く

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U16アジアユース組み分け

今年ウズベキスタンで開催される、U16アジアユースの組み分けも決まってました。

A組:バーレーン、イラン、シンガポール、ウズベキスタン
B組:インド、インドネシア、韓国、シリア
C組:オーストラリア、中国、サウジアラビア、トルクメニスタン
D組:日本、マレーシア、UAE、イエメン

オーストラリアいじめ????www

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May 08, 2008

全南も敗退決定

第5戦結果
アデレード1-0浦項
全南1-1メルボルン

全南もここでグループリーグ敗退が決まりました。
ACLが始まって初めて韓国勢が全部グループリーグで敗退するというちょっと不名誉なことになってしまいました。

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May 04, 2008

慶南、チョグァンレ監督5試合ベンチ入り禁止措置

26日の慶南対ソウルの試合で、審判の判定に抗議し、30分近く試合を遅らせたということで、慶南のチョグァンレ監督に5試合の出場停止(ベンチ入り禁止)と制裁金500万ウォンという処分を科した。

それに関連し、その試合の監督官に2008年残り全試合での割り当て中止、主審に7試合、第一副審に6試合、第二副審および第四審判に2試合、それぞれ割り当て中止の処分を科した。

つか、またかよって思ったけど。いい加減に抗議で試合中断するのやめてくれ。
後で文書なりなんなりで正式に抗議しろって。その場で抗議したってどうせ判定は変わらないんだから。
このように制裁でも何でも科してください。それでもダメなら勝ち点剥奪とか試合没収とかやってくれ。

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試合会場変更のお知らせ

5月11日(日)に予定されている釜山対大田の試合は、試合会場が釜山九徳総合運動場に変更になります。
釜山の以前のホームスタジアムですが、古いスタジアムで安貞桓・・・・昔の大宇時代のファンが集まったりするのかな。

5月14日(水)に予定されている、カップ大会、慶南対釜山の試合は、試合会場がヤンサン総合運動場に変更になります。

以上2試合、観戦の予定のある方はご注意下さい。

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