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May 12, 2008

尹晶煥の鮮々トークその3"崔龍洙、私の人生最高のパートナー(1)"

私、尹晶煥を語るとき、絶対にはずせないのが崔龍洙だ。崔龍洙は自分より一つ年上だが、とても息の合う人だった。パスを出せば、前で必ず決めてくれる、だからファンは最高のコンビと呼んでくれたのかもしれない。

崔龍洙を初めて知ったのは、東亜大3年の時だった。彼は延世大の4年で、その時初めて試合をした。試合は東亜大が2-0で勝った(しかし、大会に優勝したのは延世大だった。)。その時は初めて出会ったのだが、崔龍洙が釜山出身ということで、うちの学校の選手たちとも頻繁に交流していた。それでよく会うようになり、いいこと、楽しいこともたくさんあった。でも彼とはいいことばかりではなかった。

オリンピック代表としてフランスで開かれたツーロン国際サッカー大会に参加した時の事だった。まだプロに入ったばかりの時だったが、崔龍洙はすでにプロで1年過ごしていた。それで彼はアドバイスをたくさんしてくれた。その中で「プロは、お金もたくさん稼げるし、いいぞ。」「オリンピック代表でのトレーニングは適当にだらだらやっててもいい。」こんな話もしてくれた。自分はそのままその通りにしたのだ。

当然、成績がいいわけがない。試合はほとんど0-1でやぶれ、チームの雰囲気はめちゃくちゃになった。大会を終えた後、崔龍洙、金大植と3人だけ、Kリーグの試合のため帰国、他の選手たちはアフリカの方へトレーニングに向かった。帰国前日にも監督との面談でけんかをし、出てきてしまった。その時「ここでダメなら他のところでちゃんとやればいい。」と考え、赤い顔をして出てきたのだった。

ところが、金大植と話をしてしったのだが、崔龍洙は監督との面談で「一生懸命やります」と言ったという。私には追い出すようにし、監督とけんかさせておいて、自分は正反対のことをしていたのを知り、腹が立った。

この時、韓国までは13時間ほどかかった。金大植を中央に、自分と崔龍洙がその両側に座っていたが、その間がとても長く屈辱だった。崔龍洙とは口もきかず、韓国まで戻る間、金大植とだけ話をしていた。自分は被害を被ったら、口をきかないという性格だったし。だから自分にたやすく近づいてくる人がいなかった。こうして崔龍洙とは冷戦状態が長く続いた。

その後、自分の間違いに気がついたのか、とてもよくしてくれるようになった。一度酒の席で「ごめん」と言ったこともあった、だから「もう全部忘れた。」と答え、仲直りをした記憶もある。

その時、一つ間違えば、監督がもう二度とオリンピック代表に呼んでくれなかったかもしれない。それほど大きな出来事だったから、崔龍洙にすごく腹を立てたのだと思う。

原文:http://www.sportalkorea.com/news/korea/view.php?gisa_uniq=20080509152235&key=&field=&gisa_section=40

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