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尹晶煥の鮮々トークその2"'尊重の指導者'ロシア紳士、ニポムニシ監督"

たぶん、私、尹晶煥を語る時、はずすことができないのが、バレリー・ニポムニシ監督との出会いだろう。1995年、東亜大を卒業し、縁故指名で油公(現済州)に入団した。そしてここでニポムニシ監督と出会うことになる。

ニポムニシ監督は、第一印象からいい人だということを感じていた。顔からして紳士だという印象を受けた。品格があり、後に通訳から聞いたのだが、選手たちにはロシア語で尊敬を表現する言葉を使用していたという。それほど選手たちを尊重してくれていた人だった。

オリンピック代表でもロシア人監督の下にいて、チームでもロシア人監督のもとで、ということが自分にとってはとてもよいことだった。ニポムニシ監督がとても配慮をしてくれたおかげで、プロ初年度から錚々たる先輩選手の中でチャンスを掴むことができた。もちろん、自分自身努力もした。当時、自分には怠惰な天才という表現がついて回っていたが、他の人が寝ている時、練習して試合に出た。これは自信を持って言える部分だ。

ところで、監督はすぐ試合に出してくれたわけではなかった。開幕戦は崔龍洙のいたLG(現ソウル)とだったが、自分はベンチに座ったまま崔龍洙が活躍する姿を見ているほかなかった。この日崔龍洙が2ゴールをあげ活躍、自分はベンチでいらいらしていた。
そして監督は次の試合から試合に出してくれ、試合をやるたび少しずつ出場時間も増えていった。後に知ったことだが、監督は自分がとのくらいできるのか、テストをしていたのだとか。監督は、有名だからといって不真面目で、トレーニングもしない、となることを避けるためそうしたのだという。だから、努力し、学ぼうとする姿を見せたことで、監督は使ってくれた。

監督は紳士らしく、静かに選手たちをよび、よく話をした。話をするときは、いいところ悪いところを一つずつ話した。選手たちのことはすべて見通していた。また選手が自信を失うことがないよう、アドバイスもしてくれた。自分には「若いけど大丈夫だ。怖がらずパスをたくさんだせ」といってくれたことは忘れない。

ニポムニシ監督がチームを指揮している間、カップ大会で数回優勝した。しかし、正規リーグで優勝できなかったことが今でも残念だ。監督は若い選手たちをよく起用してくれた。その時、年の近かった尹晶椿、金基東、李乙容、李元植などがレギュラーだったが、3-4年共にやっていたので、見なくてもパスをつなげられるほど息が合っていた。しかし、若い選手たちが多かったからなのか、いいチームになるまで長い時間かかり、成績にも影響を与えた。

当時韓国のサッカーはとにかく無条件走るサッカーだった。しかし、ニポムニシ監督のサッカーは、考えなければいけないサッカーだった。周囲を見て動き、ワンタッチ、ツータッチのパスを多くする、韓国の監督はこのようなトレーニングをほとんどしなかった。しかし、我々はこのようなトレーニングをしたおかげで危機状況を回避する能力を身につけることができた。これは今でも通じるのではないかと思う。

今振り返ってみれば、監督のサッカーは当時としては先進的なサッカーだったといういうことができる。だからファンは我々のサッカーを面白いといってくれたのだと思う。今はどこでも面白いサッカーをしているが、当時はそうではなかったから。

現在の監督の近況は時々聞いている。今は休んでいるというのは知っているが、以前SKOBの集まりで一度お会いした。当時の記者も多く来ていたが、一緒にサッカーをやっていた選手たち、そして監督と同じ場所に集まることができたのは、とてもうれしかった。今も監督と共にサッカーをやっていたことを考えると、いい思い出だけが出てくる。

原文:http://www.sportalkorea.com/news/korea/view.php?gisa_uniq=20080506024000


第3回に続く

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